表舞台 (Front stage) とは、パフォーマンスをする場であり、パフォーマーとオーディエンスが存在する場である。一貫していることは、そして演者がそれを観察するオーディエンスに対し演じる状況または役割を説明する一般化した方法が含まれているのは、それがドラマツルギーのパフォーマンスの一部であるということだ。これは固定された演出である。その表舞台は、舞台装置 (Setting) と個人の外面 (Personal front) とを区別することを意味しているのだとゴッフマンは言う。これら2つの概念には、演者が成功したパフォーマンスを有することが必要である。舞台装置とは、演者がパフォーマンスするために提供されなければならない個人の外面は、パフォーマンスするために必要とされるアイテムまたは知識から成る。これらのアイテムは通常はオーディエンスによってパフォーマンスと演者の一定の表現と確認できる。個人の外面は2つの異なる様相として、裏舞台 (Back stage) とは、パフォーマーは存在しているが、オーディエンスはいない場である。そしてそこでは、パフォーマーがそのパフォーマンスを混乱させることへの怖れもなく役柄からはずれることが可能である。それは、表舞台では抑制されていた様々な事実や、あるいは様々な種類の非公式な行いが現れるかもしれない所である。裏舞台は表舞台とは完全に区別される。いかなるオーディエンスのメンバーも裏に現れることができない。演者はこれが保証されるために多くの方法を取る。オーディエンスのメンバーが裏舞台にいたら、パフォーマンスをすることは困難になる。 ドラマツルギー(英語: dramaturgy )とはシンボリック相互作用論から生じた、日常生活における社会的相互作用を取り扱う微視的 社会学の説明の中で一般的に使用される社会学的観察法である。 この用語はアーヴィング・ゴッフマンによって、演劇の場から社会学へと初めて適用された。 MVと歌詞の意味を徹底的に解説していきたいと思います。皆さんは知っていますか?という意味になっています。さらに深く調べるとこの用語を作った、「自己とは、自分が誰であるかの感覚である。そしてそれは演じられている場面の瞬間から現れるドラマチックな効果なのである」と言っています。この楽曲名が歌詞の内容とどう関与しているのでしょうか。前半のといったところから主人公は周囲(社会?)をその後、第三者からの影響でしかし結局ボロボロになり箱の中に戻るという結末、、、歌詞はどうなっているのでしょうか。MVを理解する糸口になりうるかもしれません。細かく解釈していきます。頭でわかっては嘆いたこの小さな劇場から出らんない“ワタシ”なんてないの僕ら今 さあさあ 喰らいあって君も YES YES 息を呑んで触れたら壊れてしまった『まあ君にきっと無理なんだ』考えたくはないよだから今 前線上に立って君も YES YES 息を呑んで隠してきた真実はどこにもない優しさに温度も感じられない諦めかけた人の前にアンタは僕ら今 さあさあ 喰らいあって君も YES YES 息を呑んで頭でわかっては嘆いた上で紹介したさらに簡単に言うとそして前提として、本楽曲はという部分はまさにこの小さな劇場から出らんないとあります。ドラマツルギーの考えではだからです。“ワタシ”なんてないのしかし、このドラマツルギーの中で主人公はのです。僕ら今 さあさあ 喰らいあって常にドラマを演じる人々を「メーデーなんてものはない。役を演じるうちに訪れると言っているのでしょう。君も YES YES 息を呑んで君の決まるのです。未だ感じたことのないを期待しているのです。「ドットヒート」ってなんでしょうね。間違いではないとするならおそらく造語だと思いますが、歌詞の繋がりを考慮すると、「ドラマチックな展開は個人の人生にも世界のこの瞬間にも点在していて(ドット)、それぞれが強く跡を残そうと激しく燃え上がる(ヒート)」みたいな意味でしょうか。コメントありがとうございます。その発想はなかったです。点在(ドット)という解釈面白いですね。個人的にはメーデーは労働者などの方ではなく「会敵」の方だと思ってます。他の「サレンダー」や「延長戦」などからです。本人は戦場のように捉えていると解釈してます(^^)コメントありがとうございます。なるほど。確かに一貫した解釈で面白いですね。[…] 【Eve/ドラマツルギー】歌詞とMVの意味を徹底解釈し考察!どんな人間も何かの役を演じて生きている?saluteproject.com […]脳MUSIC 脳LIFEの管理人。「楽曲考察」という側面から音楽の楽しみ方を共有したくサイトを設立。日課は最新の音楽ニュースを追いかけること。脳MUSIC 脳LIFEの管理人。「楽曲考察」という側面から音楽の楽しみ方を共有したくサイトを設立。日課は最新の音楽ニュースを追いかけること。 頭でわかっては嘆いた 転がってく様子を嗤った 寂しいとか愛とかわかんない 人間の形は投げだしたんだ 抱えきれない 言葉だらけの存在証明を. 初音ミクが歌うドラマツルギーの歌詞ページ(ふりがな付)です。歌い出し「頭でわかっては嘆いた 転がってく様子を嗤った…」無料歌詞検索、音楽情報サイトUtaTenでは初音ミクの歌詞を一覧で掲載中。フレーズ、歌い出し、作詞、作曲でも検索できます。 境界 (Borders) または境界線 (Boundaries) は、様々な領域の間で個人の動きを防止したり限定する時に重要なものになる。パフォーマーは、いつ・どのようにして・誰がそのパフォーマンスにアクセスをするかを支配して、境界を戦略的に動かすことができることを必要とする。ボーダー現象は敷居の管理はいくつかの機軸において操作されるかもしれない。最も未熟なものは基本的な社会の中で、部分であるか否かが根本的に価値有る物と考えられるかもしれないが、またそれと同じぐらい大いに社会は地下茎の複合だとも見なされるのだ。単一のまたは樹状の完全体よりは、むしろそのような境界コントロールが言わば逆説的な方式で中心的な問題となるしたがって、社会学、儀式、および劇場におけるリミナリティーの研究は、上流社会を支持している虚構の要素を再び覆い隠す。除外と分離の条件が、そのような(虚構の要素を再び覆い隠すもの)の本質的な機能であるような時に、多くのパフォーマンスは、オーディエンスが何がしかの情報(秘密)を得ることを防ぐ必要がある。そのために、いくつかの専門的な役割が作成される。 舞台 (Stages) または局域 (regions) とは、異なる役割と情報を持った互いに異なる個人を見つけることができる、表、裏、および局域外の3つに区分されたエリアを言う。 この広告は次の情報に基づいて表示されています。密葬をするの「密葬」とは一体何でしょうか。後日お別れ会や本葬などを行うことを前提に、近親者などの限られた人のみで行う小規模なお葬式の事を密葬といいます。 大きな会社の社長...利益相反行為って何ですか?◆利益相反行為って何ですか? ※例えば弁護士で言うなら請求する人と請求される人のどちらの依頼も引き受けてしまうことを利益相反と言...みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!Q&Aをキーワードで検索: ドラマツルギーの歌詞の意味を徹底解釈 1番 頭でわかっては嘆いた 転がってく様子を嗤った 寂しいとか愛とかわかんない 人間の形は投げだしたんだ 抱えきれない 言葉だらけの存在証明を. 2008/9/26dramaturgy(英語) eveさんの『ドラマツルギー』めちゃくちゃ良い曲ですけど、、、 これまた歌詞内容が意味不明と思ってる方が多いと思います!そこで、私、砂糖塩味が簡潔に『ドラマツルギー』の解釈をしてみようと思います!!あくまで自己解釈ですが、知っていると一段良い曲に聞こえますよ? まず、とにかくじっくり味わって頂きたいのが歌詞です。 「ドラマツルギー」は英語で書くと「Dramaturgy」という綴りになります。 意味としては演劇や戯曲についての創作方法論であり、また、社会学のひとつでもあります…と書かれても、難しいですよね。
EVEさんの『ドラマツルギー』めちゃくちゃ良い曲ですけど、、、これまた歌詞内容が意味不明と思ってる方が多いと思います!そこで、私、砂糖塩味が簡潔に『ドラマツルギー』の解釈をしてみようと思います!!あくまで自己解釈ですが、知っていると一段良い曲に聞こえますよ?目次 ①仮面 作中では自我や人格の意味で使われてる②色(青と黒) 主人公に通じるものだけ青く描かれる③箱 社会との隔たりに注目してみていきましょう(あくまで自己解釈)そして、ストリーに深く関わる人物が①主人公(=青色)②ケモミミ(=何色?)③黒ずくめ(=黒色)ですね// これは、自分を見失うこと『何者にもなれない』『存在証明』『“ワタシ”なんてないの』という歌詞からも連想できますね すかー (この仮面、誰かに似てる) うわっ あれ? ・・・ この後から、仮面の形がころころ変わる仮面の失って自我を見失った主人公は、箱に閉じ込められ出れません。『皆、必死に役を演じて傍観者なんていないのさ』とあるが、私だけこの小さなつまり社会から疎外されてしまう「見えない箱」に閉じ込められています作中いたるところで出て来る小さな箱には主人公が閉じ込められています一瞬、箱の色が主人公の髪の色になってますねぶつけられたボールに、めっちゃ主人公がビビりますww 外を確かめる姿 そんあ主人公にボールをぶつけるはい。ケモミミが主人公に対しての管理役この場面以降、ケモミミがボールを箱に対してではなく、地面につきます箱に対してボールを投げていたことからボールを投げる行為=主人公に何かしら影響を及ぼす行為そして、その様子を外から見る傍観者。そう、黒ずくめ『傍観者なんていないのさ』あれ??傍観者なんていないんじゃなかったの??これは、黒ずくめの視点が(展開9-1をみればわかると思います!)『まあ君にきっと無理なんだ』箱に入る前、一般社会に存在していたころに受けた周囲からの扱いここで、最初のサビから登場する傘が再登場傘を持って行く。つまり外出する準備ではないでしょうかここで言うと、箱から出る準備『その全てを肯定しないと前に進めない』と言うように、自分を肯定し、進む決意しかし、なぜか右手が動かない。。心の根底で外を拒みます『考えたくなんてないよ 』そして再び、『ずっと僕は 何物にもなれないままで』あぁぁーーまたネガティブなことを、、、箱から出る決意をしたものの、外への恐怖が、、、何者でもない自分への恐怖が、、、はい!この魔法のボールが投入そして、、、黒の装いに!!つまり、黒ずくめと同じ存在になってしまいます(黒ずくめの存在意義はまだ不明です。つまり第三弾に期待ですねっ)//自分を肯定せず、自分を失い、何者かもわからないまま主人公が外の社会に出てしまいます。そしてサビへ!『前線上に立って その旗は高く舞って 〜〜』性格が変わってしまいます。はいひとしきり歌って踊って、『ぽつりと鳴いた』過去を振り返る。<過去(箱に入る前)>『隠してきた過去の自分を冷静に見つめなおしています『嗤ってきた奴らに居場所はない』自分をバカにしてきた奴らに居場所なんてないはずだと言う考えですね『差し伸べた手に疑いしかない』差し出されたては疑いしかしないと言っていますが、、、<過去(箱の中)>倒れそうな僕を覗き込んだんだ 諦めかけた人の前にアンタは いつもあざ笑うようにお出ましさ 君にはどんな風に見えてるんだい箱から出たいがために黒の手を取ってしまった過去を思い出す。ここで決定的事実!!まぁなんとなくわかっちゃいたけど、この二人グルです。はいぐるといより、 計画犯と甘いおやつを与えられた実行犯といった感じってか、箱に座ってるのねwwってか、この曲良すぎな。大サビよ、大サビ。展開が巡る巡る『呼吸を整えて さあさあ ずっと僕は 何者にもなれないで』やっとはっきりした顔がでた!!!つまり、過去を振り返り、決意を思い出し、自分を見つけたと言うことは、黒の装いからもオサラバ(以降白い服に戻ります)序盤から登場する四角のポーズはなに??まず、このポーズ多分、箱を覗くポーズ黒ずくめの先には主人公がまたポーズを取っていますしかし、箱から出たはずの彼がなぜそのポーズの中にいるのか?それは傍観者である黒ずくめにとって世界そのものが箱のようなものだからです。ここでの世界とは「劇場」。ドラマツルギー=劇場法でしたね。主人公が歩くのも苦しむのも全てスクリーンに映し出されたもの劇場のワンシーンでしかありません劇場というものを一種の箱と表現されているのだと思います 黒ずくめ ↓↓ 主人公 ↓ ケモミミ ↓ 主人公という位置関係。この作品に存在する3つの世界の関係性ですえ!?!?なんで「青い」箱の中にケモミミがいるの!?!?って!!ん!?!?目が「青い」!?!?主人公くんのスクリーンポーズの先にはケモミミが存在しますで、ここ難しい。なんで彼が箱の中にいるのかケモミミの目が青く、青い箱に入っている点から、明らかに主人公と繋がってますよねみなさんはどう考えたでしょうか??、、、、、、私は、最初に割れ落ちた仮面(人格)がケモミミの正体だと考えます主人公が箱の中にいる間だけ、やけに伸び伸びしてますねwまた、ボールをぶつけてたことから人格を形成した主人公とは対立関係がうかがわれますちなみにラストのシーンですが、見事に顔の真ん中に割れ目が入っているように見えますケモミミ仮面にとって、主人公はいわば主体です。新たな人格を得た主人公とケモミミ仮面はもはや、ケモミミは、箱の中を見ているわけではないので、丸いポーズをしてますねまず、ポーズの中にはまたしても主人公くん、、、ただ、箱に埋もれてる?って感じなんかボロボロだぁこの理由は簡単ですね外の世界に順応したわけではありません周りの対応が変わるわけでもありません以前と同じくぼろぼろになっても不思議ではないボロボロになった主人公を目にしたケモミミが動きますこのままでは、一生箱の中脱出する方法は、また主人公を箱の中に入れることだけそして、ケモミミは以前の何者でもない主人公新しい仮面を奪い取りますここすごい凝ってるよほんと。なんで仮面を被っていない主人公から、顔を奪えるかというと、このストーリーでの仮面とは人格と同義だからでしょう真の人格であろうと、設定上は仮面を被っていること同じです『”その目に映るのは”』ですが中盤の『君にはどんな風に見えてるんだい』とも繋がってますよねその目に映るのは何?と聞かれたら、「自分」と答えるしかありません捨て去った人格真の自分の人格外に出て行くそして、これがこのストーリーの最後です一種のドッペルゲンガーの誕生過程を描いた物語と言えますねこれを推測するのは少し難しいですが、主人公が仮面を奪われる時、安堵の表情↓あと実は黒い装いになる前に、後ろで服を掴んで止めてるんですね。かわいい。この動作は主人公が黒に染まるのを心配しているのか、自分が箱の中に入る可能性を危惧しているのか、定かではありませんが、もしかしたら、最後のシーンといった、感じで残りの人生をケモミミに託したのかもしれません主人公は周囲から受ける扱いに傷つき、自分の存在価値を見出せません結果、人格をなくし、一人箱の世界へこもりますその時になくした人格が自立(ケモミミ)しばらくして、外が気になってくるがケモミミに阻まれる外に出る決意をしたが、心のそこで外を拒んでしまう。しかし、出たい!黒ずくめが何かしらのアクションを起こし、、主人公は何者でもないまま箱の外へ!!人格が180°変わる過去を振り返り、過ちに気づき、自分を見つける!そして、箱の外へ出るが、周囲の反応は変わらず再び主人公は、ボロボロに、、、それを見た、ケモミミが主人公の人格を奪い去り、ケモミミは外へ主人公は箱の中へ どうでしたか?ながながすみませんでした最終的に手を下したのはケモミミでしたが、黒ずくめが裏で全てを仕組んでいるような気もしますねケモミミの元が割れた仮面とするなら、この子もまた、劇場の存在。つまりこの子も黒ずくめの手のひらの中ということ。対等な関係ではないですね正直、黒ずくめの正体はほんと謎です。ここでの主人公の容姿がナンセンス文学で登場した人の覚醒時に似ていることやほぼ同一の黒ずくめが登場することなどから。多少推測はできますが、まだ断定できません。。。「ナンセンス文学」の考察もして見ました。よかったら照らし合わせてくださいな!!その時はまた当ブログをチェクお願いします!!また、この曲の考察しろってのがありましたら、どんどんコメントお願いします/—————————————————***追記***第三弾はあります実は、もう一つ面白いポイントが。最後の最後に黒ずくめが箱を持ってるそして舞台上手?下手?に消えていくんですが、意味深だと思いません?箱を持って消えるということは、次回を予告する行為だと思いません??あまり思わないwwwwいやーー第三弾楽しみだ追記:SNSで拡散していただければRT&Favしにいきますね♪↓ナンセンス文学はこちらへ↓ケモミミはトラウマによって生み出された悪い悪魔じゃないでしょうか?Sさんありがとうございます!!トラウマというのもいい考察だと思います!1:40あたりの「ドラマツルギー」と表示されている後ろに、ナンセンス文学の主人公覚醒前のシーンがあります!社会学のドラマツルギーを曲で表現しているようにも感じます。「劇場(箱)=オーディエンスに求められる役割を演じ続けることでしか自己を見出だせない息苦しい世界。そこでは誰もがパフォーマーでありオーディエンス(役割を定める黒幕)。ずっと演じ続けてきたから何者にもなれず、気づいたら本物の感情も失っていた。決められた役割ではない本当の自己(かつて無垢だったワタシ=ケモミミ)と再会できるドラマチックな展開を期待しているけど、実はその展開すらも決められた役割なのかもしれない。その目に映るのは(本当の自己?決められた役割?※ドラマツルギーにおいては役割)」僕はこの考察に近い経験がありました。昔の無垢な頃は、空気なんか気にせずに生きていけてたのに、成長してから自分に嘘ついて周りに気を遣って自分が無くなりそうでした。でも今では、確固たる自分を見つけました。それは理想を演じて挫折したカッコ悪い自分も、理想通りにいった自分も、どんな自分も自分なんだって認めたからです。仮面の自分ともケモミミの自分とも仲良くなれば1人じゃない気がして怖くなくなったんです。そんな経験から2種類の人格同士が仲良くなって、主人公(空気を読める自分)はケモミミ(空気を壊せる自分)にも頼れるようになったのかなと思いました。そしてそれは黒幕のシナリオ通りかもしれない。ですが、今の自分ならそのシナリオすらも認めて黒幕とも仲良くなって自分の世界の黒幕に自分がなってやるって考えますね。なんか考察じゃなくなってすみません。駄菓子屋さん感想有難うございます。これからも自由なコメントをお待ちしています!今更この曲にハマってしまった人間です、よろしくお願いします。私はこの詩が一人だけの言葉、感情で出来ているとは思えませんでした。「ワタシなんてないの」からの「どこにだって居ないよ」はドラマツルギーに染まり、色々な役を演じている他人=黒服からの、少し呆れた返しに聞こえましたし、私は箱は何層にもなっていると思っていて、高音の主人公の中のには低音の主人公がいて、どこにでも出てくる黒服を黒幕と言っていますが、「君には(僕が)どんな風に見えてるんだい」とはっはっはのように笑っているような様子を見ると、やはり黒服はドラマツルギーにおける他人からの目の様に感じます。ケモミミちゃんが主人公の仮面を引きはがした事自体が謎ですが、私は逆に箱の中に閉じこもっていたケモミミ主人公がそれなのかなと感じています。ツキさんコメント有難うございます。これからもSugar&Salt Musicを宜しくフォロワーSugar&Salt Music一同心から感謝申し上げます。作者の意図や訴えを知ること、考えることでその音色は何通りにも変化します。Twitterでのシェアや議論大歓迎です。お仕事の依頼はDMかメールをお願いします!©Copyright2020