ここまでチョーしぶとく生き残って来たのにあっけなく死んじゃうheizoーー #風林火山 — くう (@kukucoo) 2018年3月18日.
ドラマのシーンとセリフを切り取ったあらすじレビュー(復習ネタバレ)と感想を中心としたブログですフォローする 疾きこと風の如く このカッチョ良すぎるOPも見納め……。現行放送当時、当時使っていた楽天ブログが重く、自分のパソコンも不調で、名作にも関わらず全話のレビューができませんでした。この記事は、その後悔を引きずったおまけ記事です。なお、ツイッター実況しながら見ていたので感想のほとんどはつぶやきです。 「国など、国など無ければ良い。国が無ければ戦は起きぬ。」ここから400年以上も経って、国も戦もまだ残っています — くう (@kukucoo) 最後まで仏様のようだった三条さま — くう (@kukucoo) 心労絶えないうさみん — くう (@kukucoo) 姫しゃまが止めたのは四郎さまではなくて勘助自身だったと今気づく。……主語を言って主語を。 — くう (@kukucoo) 倒れるつもりだからもう引かない勘助と、どうせ矢が当たらないから引かないガックン御屋形 — くう (@kukucoo) 宇佐美んが「引け」と言っているのに御屋形も勘助も言うこときかない……どころか武田の陣へ単騎乗り込んで行くガックン謙信@政虎。「わしは三太刀受けたが、軍配には七太刀の傷がある」「あれこそ越後の龍神」冷静な評価 — くう (@kukucoo) 龍神に見守られながら死ぬのは恐怖だ — くう (@kukucoo) やっぱり、このベテラン凄腕大河俳優の中にガックンという違和感を配置したこのキャスティング、神だわ — くう (@kukucoo) 甲斐の国、平成でも海を手に出来ず — くう (@kukucoo) ごめん、へーぞーの存在、忘れてた — くう (@kukucoo) ここまでチョーしぶとく生き残って来たのにあっけなく死んじゃうheizoーー — くう (@kukucoo) パタって倒れたのにあれは気絶だったの?へーぞー。へーぞーの最期、全然記憶にねぇ — くう (@kukucoo) へいぞー、あなたの足、もうこの世にない…… — くう (@kukucoo) 平蔵の最期、忘れててゴメン……。しかし、勘助の目の前で平蔵が射られ、勘助の身体を負ぶって伝兵衛が戻り、太吉が首を持って戻る。思えば、葛笠村から出てきたこの人たちの物語でもあった。みんな、みんな、勘助を助けてくれてありがとう。 軍師は御屋形のもとへ帰ったが、首が付いていないので放送ではお見せできない。でも、主人公は笑っている。戦場で死ぬとはこういうこと。なんて大河だ。 — くう (@kukucoo) 御屋形さまの最期を紀行でウルウルと聞くけれども、脳内でサンバの方に変換されると悲しみが飛ぶ.。oO — くう (@kukucoo) ありのままのワシをその目で確かめてほしいのじゃ — くう (@kukucoo) 和子様の運命(ノД`) — くう (@kukucoo) キャストから音楽まで何もかも素晴らしい大河だった。何より戦国にして美しいセリフの数々に毎回持っていかれた。大森寿美男さんの脚本が神。 — くう (@kukucoo) その戦いの中で、一人の軍師が壮絶に散った。生きて。山本勘助は武田信玄の天下を夢見た。それは勘助自らが真に生き抜くための夢であった。そして、夢を追う者は、その夢の果てしなさを知るのである。見果てぬ夢を追う者は、永久に咲き誇る一輪の花のごとし。」
その風林火山の意味はというと、です。 疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山の最期の文字をとったものが、風林火山 です。 これは、 孫子兵法書の第七章 「軍争篇」 に出てくる一節 です。 ――忘れられない女。山本勘助の胸中には“ミツ”(貫地谷しほり)が生きています。“由布姫”(柴本幸)の首から下がった摩利支天を見て、動揺する勘助。彼女にミツが重なります。ミツが登場したのは最初のほんの数回でしたが、その存在感は思いのほか強いものです。
『2020年1月期ベストドラマ大賞投票所』『殿堂入りベストドラマ大賞』Total Voters: 2019年ベスト投票結果ですあなたの一票による2019年ドラマベストランキングブログユーザー、Twitter、Facebook、Google+などSN…◆お問い合わせは このバリバリ戦国大河のラストが勘助の美しさを讃えるミツのセリフで終わる。異形の者に向ける大森寿美男さんの目線は、いつも温かく優しい。わしには見えるらよ。勘助の中に咲いてる花が。だから勘助は怖くねえら。 山本勘助(大林→) … 内野聖陽(子役期:山内颯)リツ … 前田亜季武田信玄(勝千代→晴信→) … 市川亀治郎(子役期:池松壮亮)諏訪勝頼(四郎→) … 池松壮亮(子役期:斉藤圭祐)真田幸隆 … 佐々木蔵之介上杉政虎(長尾景虎→上杉政虎→) … Gackt今川義元(梅岳承芳→) … 谷原章介北条氏康 … 松井誠上杉憲政 … 市川左團次諏訪頼重 … 小日向文世山本貞久(藤七→) … 光石研(子役期:松川尚瑠輝)ナレーション:加賀美幸子 パタって倒れたのにあれは気絶だったの?へーぞー。へーぞーの最期、全然記憶にねぇ #風林火山 — くう (@kukucoo) 2018年3月18日 戦国武将の武田信玄は、現在の山梨県甲府から長野全体を制圧した目次晴信は、母である信虎は侵略の為多くの戦をします。戦をするには兵力がいりますが、あまりに多い戦の為、兵力が足りなくなると領民を兵にして戦に挑みます。しかし領民が減ると農作物や税を納める事が出来ず財政は厳しくなります。信虎の行いは、家臣や晴信に反感を買ってしまいます。晴信は信虎の戦に従軍し、晴信が当主になり、まず攻めたのがこうして、晴信は信濃国諏訪領を制圧します。諏訪領を攻め落とすと、次々と信濃国を攻めていきます。また今川氏と北條氏との関係が良好になると、晴信は更に信濃国平定に向けて攻めていきます。これまで晴信は、順調に侵攻し続け、信濃国の平定まであと少しのところまできていました。そして、しかし、またしても村上義清に晴信は大敗してしまいます。この大敗のことをしかし、武田軍に大勝利した村上義清の戦いもここまでで、また北條氏康はまた武田信玄と和睦するように息子に言い残し亡くなってしまいます。この時点で武田家の領土は、甲斐国と信濃、駿河、上野西部、遠江・三河・飛騨・越中の一部にまで広がり、その後、馬場信春らと合流した武田信玄は武田信玄は、浜松城に接近しますが攻撃することなく、武田信玄といば、この風林火山には、武田信玄の戦う姿勢の根本が書かれていました。表面上は勢力を伸ばしてきた織田信長と同盟を結んでいましたが、そして、武田信玄は息子の武田勝頼に いかがでしたか?武田信玄は、数多くの戦をして沢山勝利してきた戦国武将の中でも強力な武将だったと言えます。武田信玄の軍旗に書かれている風林火山は、信玄の戦う姿勢そのものでした。当サイトにご訪問いただきありがとうございます。管理人のゆ~すけです。千葉県在住の30代、趣味は山登りとお寺巡りです。目標は、子供が小学生くらいになって歴史の勉強を始めた時に「このサイト役に立つ!」と言ってもらうことです(^^;©Copyright2020 シェアする真田幸隆ら1万2千の別働隊が戻れば戦況を逆転できると判断した勘助は、武田本陣に向かった政虎の姿を見て、信玄を守るため突撃します。また、単騎で武田本陣を駆け抜け、太刀を振り下ろす政虎と軍配でそれを受ける信玄の一騎討ち。勘助、信玄、政虎の壮絶な戦いです。 脚本 … 大森寿美男
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山菜採りに行ったミツは信虎に撃たれますが、その時は弾が麻利支天のお守りにあたって、落命にはいたってなかったのに、その後なぜ、どのように殺されてしまったのですか?No.1の回答者の方の仰る通りですが、更に付け加えるとすれば、ミ