『本項目では、2010年に公開された再編集版の映画『原作は本作品は原作を忠実に、そのまま映像化した作品として高い評価を受けている。時代設定、第1話の作中で「今からおよそ80年ほど前」(1890年代)と、原作と同様の説明がなされている他方で前作までと同様に、アニメオリジナルのエピソードも存在し、第25話を皮切りに物語の後期辺りで多数追加されている。また原作でアンがダイアナとの家の間に横たわる森に「お化けの森」と名づけるくだりのように、原作にありながらもアニメではカットされているエピソードもある作画が安定している「世界名作劇場」シリーズにしては珍しく動画の乱れが存在しており、時々マリラがコマ送りで移動する、マシュウの髪・ヒゲの色が煩雑に変わるなどの事例がある(特に23話が顕著)。理由として、動画の原版は完成していたが撮影の都合で休日に跨ってしまい、彩色を担当するスタジオロビンが休みだったために仮に撮影された映像をそのまま本放送に使用したためである。後に原版を差し替える予定であったが、そのままになってしまった。 本放送終了後の『1989年に再編集版映画の第1部として編集されたものの、当時は劇場では公開できずなお、劇場公開が見送られた翌年の1990年7月から同年8月にかけて北海道のテーマパーク「
『赤毛のアン』(あかげのアン)は、1979年 1月7日から12月30日まで、フジテレビ 系列で毎週日曜19:30-20:00(jst)に全50話が放送された、日本アニメーション制作のテレビアニメ。 L.M.モンゴメリ原作の『赤毛のアン』はアンの成長物語として知られていますが、一方、育ての親であるマシュウとマリラの後半生の物語として読むこともできます。ちょっとした手違いで思いがけなくアンという”光の子”と人生を歩むことになった初老のマシュウとマリラ兄妹。そんな二人の幸せな再出発に焦点を当てると様々な発見があり、さらに味わい深くなります。アニメ作品『赤毛のアン』を通して、もう一度アンの物語の魅力を探ってみませんか。目次マリラは、10才くらいの男の子を頼んだはずなのに行き違いがあったようだとスペンサー夫人に話し、アンを孤児院に帰そうとします。ところが、ちょうどそこへ子守りを欲しがっているブリュエット夫人が現れ、引き取ろうとします。でも、子守りや小間使いをさせるためだけにアンを欲しがる意地悪そうなブリュエット夫人を見たマリラは、アンを連れて帰ることにします…。グリーンゲイブルズに置いてもらえるかもしれないという幸せを噛み締めるアン。アニメでは、美しい花びらが舞うアンの想像の世界が描かれます…。ふと我に返ったアンは、不安げにマリラに尋ねます。アン:「あたしが想像しただけなのかしら…」アンはたちまち笑顔になり、 「あの人の所へ行くくらいなら孤児院に帰った方がマシだわ!あの人ったら…まるで錐みたい!」と言って、マリラにたしなめられるのでした。 小説『赤毛のアン』では、「マリラはピーター・ブリュエット夫人とは顔見知りだけのあいだがらだが、余分な肉などは一オンスもないやせっぽちの、小さな口やかましそうな女だった」と書かれています。アニメでは、マリラが想像して思わず吹き出しそうになる、錐のように細いブルエット夫人が描かれ、笑いを誘います。モンゴメリの原作に込められたユーモアがほとばしるアニメならではの一コマです。マリラがアンを連れてグリーンゲイブルズに帰ってくると、マシュウはホッと胸をなでおろします。そして、「兄さんがあの子を欲しがっているのは分かっていましたからね、あたしもだんだん引き取るのが当たり前のような気がしてきたんですよ」と言うマリラの言葉を聞いて、満足そうに頷くのでした。人前に出るのが大の苦手なマシュウと、”変わり者”の兄を助けてグリーンゲイブルズを切り回してきたマリラ。リンド夫人が「独身のカスバート兄妹が子供を育てるなんてとても考えられない、みなしごの方がかわいそうだ」と同情するほど地味な暮らしだったのに、アンに出会ったことで二人の生活は一変します。マリラ:「それからね、あの子のしつけはあたしがしますよ、あの子は女の子なんですからね。兄さんがくちばしを入れるのは、あたしが失敗してからで結構ですよ。”女性と言えばたとえ子どもであっても死ぬほど怖がっていた”マシュウのあまりの変わりように、マリラはあきれかえります。慈悲深いマシュウの心には「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」という聖書の教えがあったのかもしれませんが、 それにもまして、アンの魅力にはまってしまったと言えるのではないでしょうか。その夜、アンはベッドに入る時、お祈りをしたことないと言ってマリラを驚かせ、「なぜお祈りの時はひざまずくの?」と尋ねます。「あたしなら、たった一人で、深い深い森や、とっても広い広い野原へ行って空を見上げるの。底知れず青いあの美しい青空をずうっとずうっと上まで…そしたら、お祈りしたような気持ちになると思うわ」マリラはアンの言葉に目を丸くしますが、「もう大きいんだから自分でお祈りくらいできるだろう」と促すと、アンは突拍子もないお祈りを始めます。「恵み深き天の父よ、喜びの白い道や、きらめきの湖や、ボニーや、雪の女王のことであつくお礼を申し上げます。本当に感謝します。お願いの方はあんまりたくさんあって全部言うと時間がかかるので、一番大事なもの2つだけにします。どうかあたしが、グリーン・ゲイブルズにいられるようにして下さい。それから大きくなったら美人になれますように、お願いします。あなたを尊敬するアン・シャーリーより かしこ」 マリラは驚き呆れますが、“かしこ”と言う代わりに“アーメン”と言わなくてはいけなかったんじゃないか?と尋ねるアンに、「悪くは…悪くもないだろうよ」と答え、「これからはアンのしつけが手いっぱいの仕事になるだろう」と使命感を燃やすのでした。「ええ、ええ、世の中を渡ってゆくにはそれぞれ苦労を分け合わなくちゃならないけど、これまで気楽にやってきたあたしに、とうとう番が回ってきたようですよ」アンを引き取って育てようと決心した日から、地味な暮らしを送ってきたマシュウとマリラの人生が大きく変わります。モノクロの世界がパッと色鮮やかな世界に変わったのです。人生の後半戦で新しい人生の扉を開いた二人は、これから様々な出来事を経ながら、明るく幸せな日々を送ることになります。それは、働き手になる男の子が欲しいという自分たちの望みよりも、目の前にいるアンの幸福を優先させたことが、結果的に二人を幸福に導いたのでしょう。大人になってもう一度アンの物語を味わうと、後半生で思いがけなく舞い込んだマシュウとマリラの幸せな再出発にときめきを覚えます。年代ごとに新しい発見があるのが『赤毛のアン』の大きな魅力ですね。※アニメ『赤毛のアン』は このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。 原作の刊行から100周年、そして本作品の放送から30周年を迎えたアンと同級生達は物語後期で本作品はシリーズ中、高畑勲が演出(監督)、主題歌(OP, EDとも)はフランス近代音楽を思わせる色彩的な和声と楽器法、現代曲で扱い慣れているであろうOPは終止直前に劇伴は当時若手の現代音楽作曲家だった※放送日時は1979年9月中旬 - 10月上旬時点(西日本放送については1979年2月中旬 - 3月上旬時点2006年8月から11月には再放送も実施された。 世界名作劇場アニメ「赤毛のアン第5話」 赤毛のアン アニメ第5話の感想. ここはハウス世界名作劇場のアニメ、赤毛のアンの感想文のページです。色々な見解や批評や評論なども述べさせて頂いています。 赤毛のアンは世界的にも有名な巨匠・高畑勲監督の作品です。 この作品世界は物静かな中にも、うるおいと安らぎが有ります。 日本では、村岡花子の翻訳により、三笠書房より1952年、のちに新潮文庫より1954年に出版。新潮文庫では、シリーズ全11巻のうちの第1巻。ルーシー・モード・モンゴメリの著作の中で最も有名な1冊でもあり、実写映画化やアニメ化、舞台化もされている。